修学旅行記 1日目 東大寺 後編

7月3日〜5日に行った
修学旅行の沢山の思い出を、
切りの良い場所で分割してお送りする
マリオリマの修学旅行記


今日は東大寺後編
前回に引き続き、
今回は東大寺の中からの紹介です。
大仏殿があれだけ大きいと、
中の大仏の大きさも半端ないです。



では中の大仏様とご対面!
圧巻です。
大仏も兵火により台座と袖、
脚などの一部に当初部分を残すのみで、
体部の大部分は中世の作、
頭部は江戸時代の作です。



大仏の脇侍の一つの虚空蔵菩薩坐像。
木造で宝暦2年(1752年)の完成。



大仏の後ろにミニ仏像みたいなのが沢山いますね。
大仏が大き過ぎて小さく見えるのでしょうか。
大仏は銅造です。



四天王のうちの広目天像。



明治42年(1909年)の日英博覧会用に制作された、
東大寺旧伽藍の模型。
この模型を見ると分かるように、
大仏殿の左右に大きな塔が建っています。
そうです、
昔は東大寺にも塔が建っていたんです。
東塔は天平宝字8年(764年)、
西塔は天平勝宝4年(752年)頃に完成しましたが、
東塔は治承4年(1180年)の兵火で焼失。
その後復興され、
安貞元年(1227年)に完成しましたが、
康安2年(1362年)に落雷で再び焼け、
以後は再建されませんでした。
一方西塔は承平4年(934年)に焼失。
その後復興が計画されますが、
工事途上の長保2年(1000年)再び焼失、
これまた以後は再建されずに終わりました。
然し前回説明した通り、
1970年の日本万国博覧会に於いて、
再び西塔が姿を現したのです。
それがこれ↓

写真の真ん中の大きな塔が西塔。
そしてこの西塔の相輪部分が
前回の写真のものという訳。
相輪部以外は万博終了後全て取り壊されました。
勿体無いなぁ…。
因みに相輪(そうりん)とは、
五重塔などの屋根から天に向かって
突き出た金属製の部分の総称。



これも模型。
本当によく出来てますねぇ。



大仏の光背。
この大仏の国宝指定名称は
「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」。
像高は14.7mあります。



鬼瓦等。



四天王のうちの持国天像と増長天像の頭部。
これら両像は未完成に終わり、
この様に両像の頭部のみが大仏殿内に置かれています。



四天王のうちの多聞天像。



大仏の脇侍の一つの如意輪観音坐像。
虚空蔵菩薩坐像と同じく木造で
虚空蔵菩薩坐像より早目の
元文3年(1738年)頃の完成。



ここからのアングルも良いですねぇ。
大仏は『華厳経』に説く盧舎那仏という名の仏です。
盧舎那仏は「蓮華蔵世界」(『華厳経』の説く世界観)
の中心に位置し、
大宇宙の存在そのものを象徴する仏です。



大仏殿の階段上からの景色。
道の真ん中に建っているのは、
金銅八角燈籠という灯籠です。
たびたび修理されていますが、
基本的には奈良時代創建時のものです。



中門前の鏡池。



ここへ来ていきなりですが、
南大門の下から見上げて撮った写真。



という訳で今日はここまで。


因みに先程の東塔・西塔共に七重塔で、
相輪を含めた総高は凡そ100mとなります。
木造塔としては日本一の高さを誇る
東寺の五重塔でも高さは54.8mですから、
現存していれば大仏殿に負けない
くらいのスケールだったことでしょう。
然し東寺の五重塔は今迄に4回焼失しても
5代目として現存してますから、
2回程焼失したくらいで諦めてしまうなんて、
東大寺にももう少し頑張って欲しかったですね。


…僕が言うのもなんですが。


以上東大寺後編でした。