修学旅行記 2日目 金閣寺 お目見え編

7月3日〜5日に行った
修学旅行の沢山の思い出を、
毎度切りの良い場所で分割してお送りする
マリオリマの修学旅行記


今回は金閣寺お目見え編
前回に引き続き金閣寺の紹介です。
遂に金閣と対面。
鏡湖池の中で悠然と構える金閣の姿は、
見た瞬間思わず息を呑みました。



遂に対面!
眩く煌めく黄金色。
正に豪華絢爛ですねぇ。
通称「金閣寺」の由来となった金閣は、
漆地に金箔を押した三層宝形造の建物で
正式には舎利殿と称します。



初層・二層・三層のそれぞれに異なる
様式を採用した特異な建築です。
初層は寝殿造風で「法水院」(ほっすいいん)と称し、
中央に宝冠釈迦如来像、
向かって左に法体の足利義満坐像を安置します。



二層は書院造風(武家造)で
「潮音洞」(ちょうおんどう)と称し、
岩屋観音坐像と四天王像を安置します。
三層は禅宗様の仏殿風で
「究竟頂」(くっきょうちょう)と称し、
仏舎利を安置します。



鏡湖池で泳いでいた鯉。



金閣のよく見る先程の様な姿を撮影する
撮影ポイントの広場の様子です。



屋根は椹(さわら)の薄い板を重ねた
杮葺(こけら葺)で、
頂上には金銅製の鳳凰が飾られています。



これはカメラをズームして撮った
初層の宝冠釈迦如来像。



そしてこれもズームで撮った
初層の足利義満坐像。
2枚とも僕のカメラでほぼ精一杯のズーム
で撮ったのでかなり暈けてますが、
僕は結構気に入ってます。



鹿苑寺金閣は国宝保存法により国宝に指定されていましたが、
1950年(昭和25年)7月2日未明、
学僧・林承賢(当時21歳)の放火により炎上(金閣寺放火事件)。
国宝金閣(舎利殿)は全焼、
国宝足利義満座像、運慶作の観世音菩薩像、
春日仏師作の夢窓疎石像等10体の木像等も焼失しました。



鏡湖池。
池泉回遊式庭園と呼ばれ、
国の特別史跡特別名勝に指定されています。
当時は曇りだったので、
残念ながら空の青が映えていません。



方丈。
本堂に相当し、
単層入母屋造で桟瓦葺。
1678年(延宝6年)、後水尾天皇の寄進により再興されました。
2005年(平成17年)から解体修理が行われ、
2007年(平成19年)に修復工事を終えました。



金閣寺放火事件のとき、
頂上にあった鳳凰及び「究竟頂」の額は
火災以前に取り外されていた為、
焼失を免れて現存し、
このうち金銅鳳凰は、
1999年(平成11年)に京都市指定文化財に指定されています。



陸舟の松。
松が舟の形をしています。
方丈北側にある足利義満手植えと伝えられる松です。
京都三松の一つでもあります。


因みに焼失以前の金閣の写真がこちら

そして焼失直後の金閣の写真がこちら

正に悲惨です。
この事件を起こした林承賢は、
寺の裏山で自殺を図りました。
更に彼の母親も事情聴取のために京都に呼ばれた後、
その帰りに保津峡で投身自殺をしました。
この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』、
水上勉の小説『五番町夕霧楼』・『金閣炎上』
の題材にもなっています。


以上金閣寺お目見え編でした。